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2012年10月 8日 (月)

無告社会

無縁社会と言われて久しいが、その実態とはなんであったか。NHKは、それを「無縁死」で表わした。日本では年間三万二千人が無縁死・孤立死している。これはすさまじい現実だ。かつて私たちが、路上で見た「無縁仏」の状態は、いまや全国で常態になろうとしている。「自分の最期は、誰に看取られるのか」。この問いに応えることができない社会。それが無縁社会だ。

しかし、無縁とは何も死の事柄ではない。それは、生きている現実そのものが無縁化しているということに他ならない。当たり前だが無縁死するその前、その人は無縁化していた。では、この生きている状態における無縁とは、どのような状態であるか。無縁死された方々は、何も無人島で暮らしていたわけではない。これまた当然だが周囲には多くの人がいたのだ。では、何が無くなっていたのか。それは「ことば」だと思う。周囲の人と当人を結びす付けるもの。それは「ことば」だ。

二〇〇七年に北九州市で三十代の男性が餓死するという痛ましい事件が起こる。かつて水際作戦で生活保護受給に厳しかった北九州市(二〇〇七年頃まで)もその頃には保護行政がずいぶん適正に行われていた。この事件を取り上げたNHK「クローズアップ現代」は大反響を呼んだ。タイトルは「助けてと言わない三〇代」。そうなのだ「助けて」が言えない、それが問題なのだ。

失われたことばの筆頭が「助けて」である。すべてを自己責任だと断言する社会は、本当に苦しい状況におかれた人々が助けを求めることを、さも「ルール違反」であるかのように扱う。「助けてと言っても、『甘えるな』と言われるだけだ」。そんな思いが「言っても無駄」という諦めを強いる。

「無告の民」という言葉がある。それは、悲しみや苦しみを告げる先がない人々を言う。無縁社会を構成するのは、この無告の民。なぜ、人々は無告化していったのか。「助けてと言っても無駄」という現実が私たちを無口にした。自己責任を追及する社会は、助けない社会。自らの無責任さを容認した社会である。「助けて」を封印した、封印させた「無告社会」に抵抗する最大の方法は「助けて」と胸を張って言うことだ。そして、何よりも強がっている大人が「助けて」と言うことだ。

 イエスは、しばしば「治りたいのか」と尋ねられた。病人にそんなこと聞くまでないと思うが、病気や障害に苦しむ人にとって最大の苦難は「見捨てられている」という疎外感。「誰も自分のことを思ってくれない。自業自得と言われるだけ」。そんな疎外感を払しょくすべくイエスは尋ねられる。「人は口で告白して救われる」(ローマ十章)。格好悪くても、今言わねばならない。「助けて」と言えるカッコイイ大人になりたいと思う。 

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乗り突っ込み

北九州空港朝七時発羽田行き。最近は、この便に乗ることも珍しくなくなった。午前五時に起き六時に家を出る。眠い目をこすりこすり空港のエスカレーターに乗っかる。メーテル(空港受付にいるロボット)もまだお休み中。エスカレーターを上がると二階正面の喫茶コーナーが現れる。この店先の看板がなかなかいい。「朝のモーニングセット」と大きく書かれている。「うんん、親切でわかりやすいねえ。朝のモーニング、おいしいそう・・・・・って、ほんじゃあ、夜のモーニングセットもあるんかい!」と思わず突っ込む。毎度一人空港で楽しんでいる。

 息子は来週修学旅行。「どこに行くの?」と尋ねると「阿蘇ホームランド」。「なるほど、なるほど、ホームランドねえ。ホームランみたいで楽しいそう・・・って、あんた、そりゃ阿蘇ファームランドやろうがあああ!」。はいはい。

 先日東京にて。親子でタクシーに乗車、浜松町駅に向かっていた。芝の増上寺の手前、同乗した母が「ああ、東京世界ツリーがきれいに見えているわ。私一度行ってみたいわ」。「ああ本当、きれいだね。イルミネーションが夜空に浮かんで・・・って、あのきれいなのは東京タワーでしょうが!それにそもそも東京には東京世界ツリーなんぞあらしまへんがな。あるのは東京スカイツリーやろうがあああ」と僕。

 まあ、これは漫才の基本「ボケと突っ込み」の「突っ込み」にあたるもの。関西人はそれが小さい頃から身についており、電車の中の普通の会話が漫才に聞こえるから恐ろしい。上記の例は、その「突っ込み」の中でも少々高等技術に属する「のり突っ込み」という技。さらに上には自分でボケて自分で突っ込む「一人のり突っ込み」という荒業もあるが、僕の場合は、やはり誰かに「ボケ」ていただいて、そこに一端「のり」そして「突っ込み」たい。「のり突っ込み」の良いところは、一旦相手の言い分に乗るということ。「そうそう、○○だね・・・ってあんた、それは××やろうが」という感じ。これが無ければ単なる否定、あるいは叱責になる。「朝モーニング!」「おかしいやろう!」。う~んん、味気ない。その点「のり突っ込み」は、一旦相手のことを引き受けて、でも、違うことは違うという。漫才流コミュニケーションと言うところか。

引き受けた人だけが裁く(突っ込む)ことができる。急に話は高尚になるが、イエス・キリストの十字架の恵みとは実はそういうこと。キリスト教の真骨頂は、イエスの十字架というのは、僕が背負うべき罪の裁きの十字架をイエスが引き受けたということ。しかし、それは単なる肩代わりではない。引き受けたイエスは、僕を赦すと共に「お前さん、そのままでいいのか?」と問う。あるいは「それはダメだ」と迫ってくる。僕のために僕の十字架を負ってくださった方が、僕にとっては救い主であることは当然だが、もう一つ大事なことがある。それは、僕のことをちゃんと叱り、裁くのはほかならぬ十字架を負った方だけである。一旦引き受けて、そして言う「いや、違うやろう」と。無縁社会を打ち破る福音、絆の中身とは、一旦引き受けてからキチンと非難する―すなわち「のり突っ込み」だと思う。「出会いにのり突っ651


込み!」、ちょっと流行らせようと思う。

 

乗り突っ込み

北九州空港朝七時発羽田行き。最近は、この便に乗ることも珍しくなくなった。午前五時に起き六時に家を出る。眠い目をこすりこすり空港のエスカレーターに乗っかる。メーテル(空港受付にいるロボット)もまだお休み中。エスカレーターを上がると二階正面の喫茶コーナーが現れる。この店先の看板がなかなかいい。「朝のモーニングセット」と大きく書かれている。「うんん、親切でわかりやすいねえ。朝のモーニング、おいしいそう・・・・・って、ほんじゃあ、夜のモーニングセットもあるんかい!」と思わず突っ込む。毎度一人空港で楽しんでいる。

 息子は来週修学旅行。「どこに行くの?」と尋ねると「阿蘇ホームランド」。「なるほど、なるほど、ホームランドねえ。ホームランみたいで楽しいそう・・・って、あんた、そりゃ阿蘇ファームランドやろうがあああ!」。はいはい。

 先日東京にて。親子でタクシーに乗車、浜松町駅に向かっていた。芝の増上寺の手前、同乗した母が「ああ、東京世界ツリーがきれいに見えているわ。私一度行ってみたいわ」。「ああ本当、きれいだね。イルミネーションが夜空に浮かんで・・・って、あのきれいなのは東京タワーでしょうが!それにそもそも東京には東京世界ツリーなんぞあらしまへんがな。あるのは東京スカイツリーやろうがあああ」と僕。

 まあ、これは漫才の基本「ボケと突っ込み」の「突っ込み」にあたるもの。関西人はそれが小さい頃から身についており、電車の中の普通の会話が漫才に聞こえるから恐ろしい。上記の例は、その「突っ込み」の中でも少々高等技術に属する「のり突っ込み」という技。さらに上には自分でボケて自分で突っ込む「一人のり突っ込み」という荒業もあるが、僕の場合は、やはり誰かに「ボケ」ていただいて、そこに一端「のり」そして「突っ込み」たい。「のり突っ込み」の良いところは、一旦相手の言い分に乗るということ。「そうそう、○○だね・・・ってあんた、それは××やろうが」という感じ。これが無ければ単なる否定、あるいは叱責になる。「朝モーニング!」「おかしいやろう!」。う~んん、味気ない。その点「のり突っ込み」は、一旦相手のことを引き受けて、でも、違うことは違うという。漫才流コミュニケーションと言うところか。

引き受けた人だけが裁く(突っ込む)ことができる。急に話は高尚になるが、イエス・キリストの十字架の恵みとは実はそういうこと。キリスト教の真骨頂は、イエスの十字架というのは、僕が背負うべき罪の裁きの十字架をイエスが引き受けたということ。しかし、それは単なる肩代わりではない。引き受けたイエスは、僕を赦すと共に「お前さん、そのままでいいのか?」と問う。あるいは「それはダメだ」と迫ってくる。僕のために僕の十字架を負ってくださった方が、僕にとっては救い主であることは当然だが、もう一つ大事なことがある。それは、僕のことをちゃんと叱り、裁くのはほかならぬ十字架を負った方だけである。一旦引き受けて、そして言う「いや、違うやろう」と。無縁社会を打ち破る福音、絆の中身とは、一旦引き受けてからキチンと非難する―すなわち「のり突っ込み」だと思う。「出会いにのり突っ651


込み!」、ちょっと流行らせようと思う。

 

2012年4月15日 (日)

「支援も大事、出会いはもっと大事」

あれから一年を迎えた。三月十一日が私達に与えた衝撃は大きく、何よりその被害を直接的に受けた人々の苦難と悲しみは量りがたい。

 茫然自失としたあの日。震災の夜、繰り返す津波の襲来の中、雪の降る夜を漆黒の闇に包まれながら人々が耐えていた頃、僕は「何かしなければならない。何をするか。何を」と「つぶやいて」いた(三月十二日0時五十五分ツイートの記録)。直後原発は爆発し、大量の放射能が飛散した。

翌日には地元ホームレス支援団体との連携、ホームレス支援全国ネット東日本大震災対策本部の立ち上げ、グリーンコープ生協との連携、生活クラブ生協との連携、十一月には「共生地域創造財団」が立ち上がった。未曾有の事態を前に、それぞれがこれまで培った専門性を携え協働が始まった。

 瓦礫が撤去された現在の被災地は、雪に覆われ美しくも荒涼とした空間が広がっている。多くの支援団体が一年を待たず撤退していった。先日現地で開催されたセミナーで支援団体の代表が地元の人々にこう語ったという。「私達は、緊急援助のためにやってきました。地元の皆さんには一日も早く自立していただけるように私たちは支援します。そして、私達が早々に撤退できることを願っています」。でも、そうだろうか。そんなものか。

 この一年、震災や原発事故、いわば苦難を機に多くの人々と出会ってきた。期せずして・・・それが本当のところだ。現地の苦しみはなお深い。しかし、人は苦難の中でさえ出会うのだ。それが生きることだと思う。期せずして起こった出会いだが、それが新しい社会を創造する契機となると信じている。

  蛤浜の亀山さんとは「お互いのお葬式には出ましょう」などと言っている。一時の支援も大事。地元の方々が自立されることも当然大事。しかし、出会いは、もっと大事。「早々の撤退」はないなあ。一緒に生きていく。そんな出会いが支援の根底にあることが肝心なのではないか。

 「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ二十八章)。イエス・キリストは救い主。人類救済がいわば「仕事」だった。しかし、イエスがキリスト(救い主)である真骨頂は、共にいる(インマヌエル=神我らと共にいます)ことにある。共にいてくれる存在、それこどが「何をしたか、しなかったか」ということを凌駕するのだ。

支援も大事だが、そこで出会い、共に生きることはもっと大事だ。

(この一年の記録が明日4月16日午後10時からNHK総合「プロフェッショナル仕事の流儀」のスペシャルで流れる。恥ずかしいが、記録は記録。皆と一緒に観ることにする)

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2012年3月 2日 (金)

そんなん当たり前やん

 大阪上本町から近鉄電車に乗って三重県伊賀市に向かう。車内は、さすがに大阪弁が飛び交う。中学生ぐらいの女の子とお母ちゃんが私の前に座った。「なあ、お母ちゃん、勉強手伝うてえや。言うで、言うから答えてや」。彼女が手にしているのはどうやら社会科の参考書らしい。「(娘)えーっと・・・日本とアメリカの重要な条約はなんですかあ」。「(母)あのなあ、そんなこと知らんでよろしい。人間そんなこと知らんでも生きていけるわ。それより自分のことをちゃんと知らんとアカン、人間は・・・」。(私:なるほど!)。「(娘)お母ちゃん、ちゃんと答えてや。次いくで。国民の義務はなんですかあ」。「(母)ええ、ギ、ギム。そんなん知らんなあ」。「(娘)答え、勤労の義務でーす。お母ちゃん、働かなあかんちゅうこっちゃでえ」。「(母)そらそうや!人間働かなあかん。働かん奴はあかんやっちゃ。あんたもしょうもないこと言うてんで働き!」。「(娘)何ゆうてんねん。うち中学生やんか」。「(母)そっちこそ何ゆうてんねん。その気になったらいつでも働ける」。(娘)「そーういう問題やないやろ」。

 腹がよじれるかと思うほど可笑しかったが、声を出して笑うこともできず、太ももをつねりながらこらえていた。我慢しすぎて涙が出てきた、と思ったら鼻水だった。しかし、この親子漫才はまだ続くのであった・・・。(誰か助けてくれ・・・・)

 参考書を取り上げた母親が「(母)こーんどはお母ちゃんが質問したるわ。だいたい何で私が答えなあかんねん。あんたの勉強やろ」(私:その通り!)。「言うで、日本国憲法の基本理念はなんですか。へへへ、難しいやろ。わからへんでこれは・・」。「(娘)ええ、そんなウチわからへんワ。リネンって、ええ、なんやろ、ヒント、ヒント言うて」。「(母)あかんで、ヒントなしや。さあ、どうする、どうする・・・はい、残念でした。正解は、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義でーす」。すると娘は真顔でこう言ったのだった。「そんなこと当たり前やん。当然のこっちゃ。憲法に書くことやあらへんで、ほんま」。

 この娘のことばにへんにうなづいた私。それらは普遍の原則―「あたり前」のことだ。書いて諳(そら)んじるべき(暗唱すべき)重要事項だ。にも関わらず今やそれらは顧みられず、それどころかこの原則を変えようとする人々まで登場した。国会では「憲法調査会」の動きが活発化し、基本的人権がわからない元弁護士の市長は職員の思想調査を行い、平和主義を貫くはずの国に世界有数の軍隊と米軍基地があり続けている。自分が主権者だとどれだけの人が気付いているだろう。

 「あたり前」が「あたり前」でなくなる時、私達は深淵の闇へと向かう。イエスのことばもいわば「あたり前」の事だった。だが新鮮な驚きを持って人々に響いたのだ。それは、書き残され諳んじられた(暗唱聖句)。「互いに愛し合うべきである」(第一ヨハネ三章)。そんなのあたり前!でもここから始め直そう!そう思わされた近鉄電車の旅の一コマ。

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2012年2月19日 (日)

自分で判断する

 福島からの遠隔地避難を検討されている親子が北九州市を訪ねられた。見学は二組目となり11月以後に増えてきている。現在お住まいの地域は放射線量は高くないと言われているが、場所によっては「ホットスポット」と呼ばれる危険な場所が点在するという。当初行うことになっていた校庭の除染作業は結局行われないまま小学校の体育の授業は現在屋外で強行されている。

 Aんには、高校生の息子さんと5年生になる娘さんがおられる。母親は断腸の思いで娘に体育の授業を見学させている。大分風当りが強いようだ。福島では県を挙げて「大丈夫、安全だ」というキャンペーンが張られているとのこと。その中で体育を見学させるのは、相当勇気のいることだと思う。「なんで見学しているの。大丈夫なのに」という声を跳ね返し母親はわが子のために決断する。見学はクラスで二人だけ。

そもそも被ばく国である日本に原発を五十数基も設置できたのは、「絶対安全。絶対事故は起きない」と電力会社はもとより、国も裁判所もそう強弁してきたからだ。「絶対安全」と言わないと住民が納得せず建築できないという構図がそこにはあった。そして「安全神話」が生まれた。だが現実は違った。今、再び「絶対安全」と言い切り「通常の生活」が始まろうとしている。

 そんな中、Aさんの決断に敬意を表したい。確かに答えはわからない。もしかすると安全なのかも知れない。しかし、何よりも大切なのは自分で判断し選択すること。子どもにとっても体育見学は重荷であることは間違いない。だが、この母親の勇気ある決断の意味を必ず子どもたちが知る日が来る。今回の大震災、特に原発事故において、大人がどれだけ主体的に決断できるかを子どもたちは見ていると思う。それを見た子どもたちは、自らの人生においてもキチンと判断できる人になる。そして、もう「あの過ち」を繰り返さない人になる。

昨年末、こんなニュースも入ってきていた。「東日本大震災被災者向けの『民間賃貸住宅借り上げ制度』を利用して多くの県民が他県に自主避難している福島県が、全国の都道府県に対し、今月末で同制度の新規受け入れを打ち切るよう要請している」(毎日新聞)。民意無視の沖縄の基地押し付けといい、この国の民主主義はどうなっているのだ。避難の自由を奪うことなど許されない。

 イエスは言う。「あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか」(ルカ福音書一二章五七節)。信仰は、神にゆだねるという面と神の前で自分で判断するという面を持つ。後者が欠けると宗教はカルトとなり、国家はファッショ(全体主義)となる。

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2012年2月 1日 (水)

開かれている痛み

 バザーの品物を取りに伺ったお宅にて。献品を車に乗せ、帰ろうと後ろのドアを閉めたところドアが思いっきり頭に激突。久しぶりに「目から火が出る」ほどの激痛に見舞われた。痛さと情けなさで意識が遠のきそうだった。その瞬間、家のご主人が「あ痛!」と叫んでくださった。「いや、いや、あなたは痛くはないでしょう」と思ったが、どこかで「ありがたい」とも思った。「ああ、それ、よくやります。牧師さん痛かったねえ」とさらにご主人。頭は痛かったが、なんとなく癒された気持ちになった。

単純に僕がドジなだけの話しなのだが、痛みの瞬間に僕にご主人が同期してくれたというか、独りで傷んでいるのではなく、一緒に傷んでくれたというか。なんとなく痛みを分かち合ってもらったような出来事だった。痛みというものは、そういう風に人と人を繋ぐ力を持っている。痛みが他人と僕を結びつける。傷んでいる人を見て、思わず「痛い!」と感じる。それは「開かれた痛み」と言っていいだろう。

 昨日副田元牧師に呼ばれ「市川ガンバの会」のシンポジウムに参加した。第二部は、歌手の沢知恵さんのミニコンサート。沢さんとはこれまで何度かお会いしたが、初めて一緒にイベントをする機会となった。僕の本もすでに読んでくださっていたようで「奥田先生のお話に合うように選曲しました」と仰っていた。沢さんは、この間二人の子どもを出産され母の風格を漂わせておられた。「子どもを産んだ時、母親のことを思いました。こんなに痛い思いをして産んでくれたんだと思うと思わず涙が出て、泣きながら母に電話をして『ありがとう』っていいました」。コンサートの中で沢さんは「絆は傷を含む」という僕のことばに対してそんなコメントをしてくださった。

 そんな「他者に開かれる痛み」がある一方で「自分の痛みは誰にもわかってもらえない」という思いに囚われる日がある。「閉じられた痛み」と言うべきか。閉じられた中で、独りぼっち傷む。すると何倍も痛みが重くのしかかる。閉じられた痛みは人を一層孤独にする。

 イエス・キリストは傷む神だ。十字架は、他者の痛みを自分の痛みとした神の姿だった。今日もイエスは、私達の痛みに繋がろうとされている。決して一人で傷ませることはすまいと傷んでくださっている。「インマヌエル=神我らと共にいます」とは、僕の痛みを自分の痛みとする神に他ならない。

 人生には、痛みの日がある。その日は避けがたくやってくる。しかし、その日、私たちは、他者へと開かれていくのだ。その日、「あ痛!」と思わず感じ取ってくれる他者と出会うのだ。

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2012年1月28日 (土)

わたしのあおぞら

先日二枚目のホームレス支援CD「わたしのあおぞら」の発売を記念するコンサートが開催された。二〇〇人を超える方々が駆けつけてくださった。今回も南小倉教会牧師の谷本仰先生、ピアノの中島由紀子先生などが参加くださり、本当にあたたかいコンサートとなった。以下の文章をCDに寄せさせていただいた。

 「【あおぞらに抱かれて】 タイトルが『わたしのあおぞら』だと聞いたとき、僕の中には『日本晴れの青空』ではなく、少しさびしく、だが、あたたかい夕暮れ時の『あおぞら』が浮かんだ。なぜだか知らないが、谷本さんの歌の風景はそれだった。ホームレス支援23年。出会いは常に『あおぞら』の下だった。出会いとは『出て行って会うこと』。出かけていく僕らを『あおぞら』が見守ってくれていた。『青かん』という言葉をご存じか。『青空簡易宿泊所』のこと。当事者は『野宿』と言わずそう言った。苦し紛れのユーモアか。いや、『野宿』せざるを得ない者が、卑下に飲み込まれまいと誇りをかけてそう呼んだのだ。ならば『あおぞら』は彼らの『わが家』に他なるまい。社会は彼らを排除し続けた。そんな時、追われゆく者たちを無条件に受け止めたのは『あおぞら』だった。『あおぞら』のように彼らと出会いたい。そんな支援をしたいと願ってきた。このアルバムが、さびしくもあたたかいのは、『あおぞら』が天国へと通じているからに他ならない。先に天へと上った人々が『あおぞら』の上から僕らを見守る。力足らずの活動だが、そんな「あおぞら」に見守られ明日も続ける。前作以上にこのアルバムは普遍性を保持する稀有なものとなった。それは、ホームレス支援がもつ射程と軌を一にしている。だから野宿者はもとより、愛する者を失った人、生きることに疲れた人、不安に眠れない人、そして津波によってすべてを奪われた人、原発事故被害者、すべての人々にこのアルバムを贈りたい。きっと勇気をもらえる。僕らは同じ『あおぞら』の下に生きている。絆を取り戻そう。傷つくことを恐れてはならない。絆は傷を含む。傷ついた日、目を上げてごらん『わたしたちのあおぞら』がそこにある。あなたはひとりじゃない。僕らは同じ『そら』の下で生きている。谷本さんをはじめ、素敵なアルバムの制作に携わった方々に感謝したい。」

 詩編の記者は言う。「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」(詩編一九章)。昔から人は天や空に神の存在、神の業を見てきた。人の世界がどんなに醜く、つらく、また、理不尽であったとしても、どんなにひどい出来事であったとしても、それらはすべて空の下、すなわち神の手の中で起こったのだ。それを信じ、今日も空の下で生きる。

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2011年12月19日 (月)

解説者―Hくんの帰郷

Hくんと出会ったのは今から一か月以上前のこと。かつて自身も路上で苦労され、今は下関でお住まいのSさんから電話がありHくんの存在を知った。Sさんに付き添われ炊き出し会場に現れたHくんは実に丁寧な物言いの青年だった。36歳だという。

 家に戻ることを勧めたが「帰れない」と言う。「親にはこれ以上迷惑をかけられない」。これまで何があったか想像がつく。親に連絡されること恐れ生活保護は申請しないとHくん。その後、電話連絡を取るようにしもらい時々会うようにもなった。Hくんは、大学中退後10年間特殊法人に勤務しており就職活動には積極的だった。次に小倉駅で会った彼はネクタイ姿だった。パチンコ店の面接を受け内定をもらったという。しかし数日後「最終的に住所を携帯がないことが判明し内定は取り消しなりました」としょげていた。路上からの再就職は不可能だったが、それでも「頑張る」とHくんは言う。

野宿生活も一か月になろうとしていたある日「もう限界です」とHくんが連絡してきた。ともかく生活保護を申請すること。当面我が家に来ること。そして親には私から連絡すること。この三点を彼と約束し次の段階へ。

さっそく両親へ連絡を入れた。捜していたという。当初は旅費をこちらに送るから帰るように言ってくださいとのことだったが「それでは帰れないかもしれない」と忠告。すると父親が「私が迎えに行きます」と仰った。翌日私と彼との待ち合わせ場所に突如(彼にとっては)お父さんが登場。「帰ろう」の呼びかけにHくんは「うん」とうなずいた。三人で食事をしながらこれまでいきさつを聞いた。色々あったようだ。両親は彼のために何度も苦労したようだ。二人はホームへと帰っていった。

身内って難しい。確かに愛している。でも、だからこそ「赦せない」という思いなる。これは苦しい。「あなたの赦せんという思いは愛してるから出ているんですよ」と解説してくれる他人が必要だ。解説者がいないと愛は憎しみを装う。

「イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、『婦人よごらんなさい。これはあなたの子です』。そこからこの弟子に言われた、『ごらんなさい。これはあなたの母です』。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。(ヨハネ1926-27)。このイエスの一言が私達には必要なのだ。

Hくんといつか再会できる日を楽しみにしている。また会おう。君にあえてよかった。

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2011年12月 8日 (木)

自分で判断する

 福島からの遠隔地避難を検討されている親子が北九州市を訪ねられた。見学は二組目となり11月以後に増えてきている。現在お住まいの地域は放射線量は高くないと言われているが、場所によっては「ホットスポット」と呼ばれる危険な場所が点在するという。当初行うことになっていた校庭の除染作業は結局行われないまま小学校の体育の授業は現在屋外で強行されている。

 Aんには、高校生の息子さんと5年生になる娘さんがおられる。母親は断腸の思いで娘に体育の授業を見学させている。大分風当りが強いようだ。福島では県を挙げて「大丈夫、安全だ」というキャンペーンが張られているとのこと。その中で体育を見学させるのは、相当勇気のいることだと思う。「なんで見学しているの。大丈夫なのに」という声を跳ね返し母親はわが子のために決断する。見学はクラスで二人だけ。

 そもそも被ばく国である日本に原発を五十数基も設置できたのは、「絶対安全。絶対事故は起きない」と電力会社はもとより、国も裁判所もそう強弁してきたからだ。「絶対安全」と言わないと住民が納得せず建築できないという構図がそこにはあった。そして「安全神話」が生まれた。だが現実は違った。今、再び「絶対安全」と言い切り「通常の生活」が始まろうとしている。

 そんな中、Aさんの決断に敬意を表したい。確かに答えはわからない。もしかすると安全なのかも知れない。しかし、何よりも大切なのは自分で判断し選択すること。子どもにとっても体育見学は重荷であることは間違いない。だが、この母親の勇気ある決断の意味を必ず子どもたちが知る日が来る。今回の大震災、特に原発事故において、大人がどれだけ主体的に決断できるかを子どもたちは見ていると思う。それを見た子どもたちは、自らの人生においてもキチンと判断できる人になる。そして、もう「あの過ち」を繰り返さない人になる。

 こんなニュースも入ってきている。「東日本大震災被災者向けの『民間賃貸住宅借り上げ制度』を利用して多くの県民が他県に自主避難している福島県が、全国の都道府県に対し、今月末で同制度の新規受け入れを打ち切るよう要請している」(毎日新聞)。民意無視の沖縄の基地押し付けといい、この国の民主主義はどうなっているのだ。避難の自由を奪うことなど許されない。

 イエスは言う。「あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか」(ルカ福音書一二章五七節)。信仰は、神にゆだねるという面と神の前で自分で判断するという面を持つ。後者が欠けると宗教はカルトとなり、国家はファッショ(全体主義)となる。

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